桜の開花予想が発表されると、日本中が急にそわそわしはじめる。
去年、お花見のタイミングを逃したという友人は、
今年こそと意気込んで天気予報ばかり気にしながらやきもきしている。
ちらほら咲き出したかと思うと一気に咲きほころび、
あっという間に散っていく桜。お天気とスケジュールと満開のタイミングを
合わせてお花見をしようと思ったら、確かに気が気じゃないよね。
近所の川沿いの桜並木は、今はまだ枯れ木の風情。
別にお花見の予定があるわけではなくても、
この時期になると枝先の花芽が気になってしょうがない。
「まだ固いかな」とか「ちょっと膨らんだかも?」とか、
通るたびについついチェックして一喜一憂していたりするから不思議だ。
桜以外の木や花でそんな風に気にすることなんかない。
誰もが、こんなにも桜に焦がれてしまうのはどうしてなんだろう。
散々じらされてようやく開く花なのに、
満開の時期はほんの1週間ほどしかない。そのわずかな期間、
一帯を淡いピンクで霞ませるほど見事に、全力で咲き誇る。
待ちわびた春を象徴するかのような、やさしさと華やかさ。
そのくせ、その美しさには一切執着することなく、
あまりにも潔くはらはらと散っていってしまう。
いつ咲くのか、いつ散るのか、すべては自ら決めているとでもいうように。
友人に言わせると「ツンデレなのよね、桜って」ということになるらしいけど、
まるで意志を持っているかのようなその姿に、人は惹かれるのかもしれないな。
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
世の中に桜なんかなければ春をのどかな気持ちで過ごせるのに、と
平安時代の歌人も詠んだという。咲いた、咲かない。散った、散らない。
そうやって桜に翻弄されるのは、もはや日本の伝統だね。
それこそ春を迎える何よりの楽しみなんだ。古(いにしえ)からの作法にのっとって、
さあ、今年も桜のツンデレぶりを楽しむことにしよう。