2018年平昌オリンピックの氷の上で、私たちは奇跡を見せてもらった。
2月17日、江陵アイスアリーナで開催された男子の決勝。
羽生結弦がトップを保ち、ソチオリンピックに続く2度目の金メダルを射止めた。
男子のオリンピック2連覇はディック・バトンに続く66年ぶりの快挙となった。
宇野昌磨が3位から1つ順位を上げて銀メダル。
ハビエル・フェルナンデスが銅メダルを獲得。
日本がオリンピックの金と銀を並んで獲得したのは、フィギュアスケート史上初めてのことである。
予感は朝からあった。
朝の公式練習で、羽生は曲に合わせながら4サルコウ、
4トウループなどをきれいにきめたあと、自分の中でイメージをするようにしばらく振り付けをさらい、
まだ音楽が終わる前にジャケットを羽織った。そして中央でお辞儀し、
氷から上がった。本番のためにエネルギーをセーブして周到に準備をしている。そういう印象を受けた。
羽生が、耐え抜いた右足首に感謝を。
羽生は最終グループの、4人目の滑走だった。
観客席が無数の日の丸で埋まる中、アイボリーから真っ白にと新調したコスチュームを身に着けて、出てきた羽生。
怖いほど集中している真剣な表情で氷の中央に立った。
馴染み深い『SEIMEI』のメロディが流れはじめ、
4サルコウがきれいに入る。悲鳴にも似た歓声が、場内を包んだ。
4トウループ、そして軸がきれいな3フリップ。
一つ一つのジャンプの質の高さは、負傷する前と少しも変わっていない。
4サルコウ+3トウループをきれいに降りた後、4トウループでステップアウトしたのが唯一大きなミスだった。
最後の3ルッツではもうおそらく右足首がギリギリの状態だったのではないか。
バランスを崩しかけながらも耐えたのは、彼の意思の力と体幹の強さだろう。
滑り終えると感無量の表情をし、うずくまって右足首を押さえた。
痛むのかと思ったが、耐えてくれたことに感謝をしていたのだという。
これはもう誰も勝てない。羽生の優勝だ。そう確信した。
フリー206.17、総合317.85という数字が出ると、会場中が熱狂的な歓声に包まれた。
優勝が決まると、待機していたグリーンルームで涙ぐむ羽生の姿がスクリーンに映し出された。
怪我を乗り越えて勝利を手にした理由。
報道陣の前に姿を現した羽生は、演技直後に勝ったと思ったかと聞かれると、
「勝ったと思いました」と誇らしげに答えた。
結局4回転はトウループとサルコウを2回ずつ入れた。
このプログラム構成については、こう述べている。
「今日起きた時点で考えようと思っていました。ある意味スケートができなかった期間があったからこそ、
作戦ということを学び、勝つためにここに来れた」
4ループ、そして4ルッツと挑戦し続けてきた羽生だが、
勝つためには必要ないのではという声は常にあった。
それが怪我をしたことにより、結局2種類の4回転で勝利をつかんだ。
だが過去2年の間にさらに難易度の高い演技へと挑戦を続けてきたからこそ、
4回転を4度という十分に難しい構成のプログラムを、
怪我上がりの体で大きく崩れることなく滑り切ることができたのだろう。
「ソチオリンピックのときは、勝てるかなという不安な気持ちしかなかった。
(今回は)自分に勝てたというふうに思いました」と喜びを語り、
同時に支えてきてくれた人々への感謝の気持ちを何度も繰り返した。
初出場、最終滑走の重圧に耐えた宇野。
宇野昌磨は、初出場のオリンピックで最終滑走というプレッシャーの中、
歌劇トゥーランドットの『誰も寝てはならぬ』の荘厳なメロディにのって演技を開始。
出だしの4ループでいきなり転倒したが、持ち直して4フリップを成功させた。
後半の3アクセル、4+2トウループ、4トウループ、そして3アクセル+1ループ+3フリップなど、
危ういジャンプもあったものの最後まで大きく崩れることなく滑り切り、
後半では笑みも出た。
フリー202.73で総合306.90。
銀メダルが決定。日本男子が1位、2位と歴史を作った瞬間だった。
宇野はこの日は朝の公式練習から、前日の疲れもあり、あまり良い状態ではなかったという。
「滑った感じ、体の感触で決していい状態ではないから
良い演技はできる可能性は低いかもしれないと思いつつも、
やるしかなかった。でもそういう練習もしてきたので不安はなかったです」
オリンピック特有の緊張というものは、最後まで感じなかった、という。
樋口美穂子コーチに喜んでもらえたことは嬉しい、と言いながらも、
「オリンピックの銀メダルという結果に、他の試合の銀メダルという結果とあまり違いは感じなかったです」
と相変わらず飄々とした表情を崩さなかった。